粒沢らぼ。

当ブログでは現役生命科学系の研究者が、気になった論文を紹介したり、考えていることを共有したりしています。可能な限り意識を”低く”がモットー。たまに経済ネタとかも。
書いてる人:粒沢ツナ彦。本業は某バイオベンチャーで研究者をやっています。本名ではないです。
博士号(生命科学系)。時々演劇の脚本家、コント作家、YouTube動画編集者。アンチ竹中エバンジェリスト、ニワカ竹中ヘイゾロジスト。
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タグ:認知的不協和

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昨日の、コロナ禍で医者に批判が集まっている件について触れた際にも思ったけど、認知的不協和の解消というのは現代社会において非常に重要なテーマだ。

ネットやテレビなどを介して、良い生活や羨ましい目に遭っている人の話が途切れることなく流れ込んでくる時代だからね。

 

自分のやりたいことや欲しいものがあるのに現実の制約がかち合ってしまいそれが達成できないというのは、現実には非常によくあることだ。

だけど、その状態に耐えられないので人間はどうしても認知的不協和を解消する方向の認知を好んで採用してしまう。

認知が真実であるかどうかは関係なく、認知的不協和が解消できる話であれば、普通の人はみんな喜んで受け入れるのだ。

致し方ないところではある。

修行が足りないと言えばそれまでかもしれないが、一般大衆は修行僧などではないのだ。

 

しかし、昨今の医療に関する根拠のない言説でもそうだが、都合のいい認知を作るためにウソを広められたり事実と異なるレッテルを貼られるほうとしてはたまったものではない

それを煽ることで商売にしているような輩もいることは前回も触れた。

 

とはいえ、SNSの時代では、ウソだろうがなんだろうが人々の意識にのぼりやすい考え方はどんどん広まっていく。

その流れを止めることは事実上不可能だ。

たとえば医者に対する悪口や誤った根拠に基づく批判が問題だとしても、それらを全て根絶することは不可能だろう。

個人の自由が尊重される我が国では基本的に特定の意見を言う人の口を塞ぐことはできない。

仮に塞ぐことができたとしても別の形で噴出してくるだけだ。

 

せいぜい、明らかなウソを書かれた時には関係者の証言やデータで反論するくらいが関の山だ。

それだって、認知的不協和に取り憑かれて「見たいものしか見ない」相手には通じない。

言っても通じない相手は結局のところ無視するしかないのだ。

 

さらに厄介なことだが。
「認知的不協和に耐えられず事実と異なる内容を吹聴するやつらを黙らせたい」が、「日本には言論の自由があるので口を塞ぐことは原則不可能である」と言うことの不快感。

この状況自体が、非常に皮肉なことに認知的不協和なのだ

これを解消するために、「認知的不協和で事実と異なることを思い込むやつは知能が低い、下賤だ」などのような認知を自分自身にインストールする必要があるのだ。

 

ここで大事なことだが、「認知的不協和で事実と異なることを思い込むやつは知能が低い、下賤だ」という文章が事実であるかは、正直どうでもいいのだ。

ただ不快感が

悲しいし皮肉を感じるが、現代社会ではそれが最もマシな対処法だろう。

 

残念ながら、我々は認知的不協和から真の意味で逃れることはできないのだ…。

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マスコミや
SNSを中心に「医師達は全然努力していないで自粛を呼びかけるばかり」「尾身会長の分科会が失敗したから感染が拡大した」みたいな言説が目立ちますね。

医師の人たちはコロナの流行下において実際頑張っていると、粒沢はもちろん思うのだ。

だけど、こうした医師や医療関係者に対する不満が噴出してしまうのも、良し悪しは別として気持ちとしてはわかる気がするのだ。

 

なぜ、医師達が余裕なく働いていると言っているのに、医療関係者でもない素人が「それは嘘だ!」「医者達がサボっている!」などと特に根拠もなく言いたがるのか。

 

その答えは、我々はどうあがいても結局医療を全く利用しないわけにはいかないというところにある

 

例えば、近所のラーメン屋のオヤジの態度が気に食わないとか喧嘩したとかなら、そのラーメン屋に行かなければいいだけの話だ。

別にラーメン屋なんて他にもいくらでもあるし、ラーメン以外の外食を利用してもいいし、なんならスーパーで買って自炊したりしてもいい。

代替手段が無限にあるのだ。

 

一方、どんな人であっても、医療を利用しないというのは現代社会においてはなかなか難しい。

どんなに健康に気をつけた生活をしていても、一切病気などにならないというのは現実的にはありえないだろう。

コロナの流行下であればなおさらだ。

それに、仮にものすごく健康管理に気をつけて、コロナだけでなく一切の病気にならなかったとしても、ある日突然車に轢かれて重傷を負うと言う可能性もゼロではない。

女性であれば妊娠出産のようなライフイベントもある。

 

医者が気に食わないなら医療を利用しない!と高らかに宣言することができたらどんなに楽か。

だが、ほとんどの人はそこまで本心から言い切ることができないのだと思われる。

 

要するに、認知的不協和というやつだ。

医者が気に食わないのに、医者に世話にならないわけにはいかないという、二つの相反する心理が一人の人の中に同居することで、この上ない不快感をもたらすのだ。

冒頭述べたような言説は、こうした認知的不協和から人間の魂を解放してくれる効果がある
「医者が悪い」「サボっている」ということにすれば 、(真実かどうかはさておき)悪いのは威張っているくせに仕事をさぼっている医者の方だ、ということにできるからね。

マスコミやネット論客の中には、あえてそうした心理につけこんで人々の注目を集めて、金儲けに利用しようとする人も多くみられる。 
褒められたことではないが、まあある意味では賢いともいえる。
良し悪しは別として、現代のコロナ禍というのは、そういう「不協和を解消してくれる認知」に対する需要が高まっている時代だということなのだ。 

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