粒沢らぼ。

当ブログでは現役生命科学系の研究者が、気になった論文を紹介したり、考えていることを共有したりしています。可能な限り意識を”低く”がモットー。たまに経済ネタとかも。
書いてる人:粒沢ツナ彦。本業は某バイオベンチャーで研究者をやっています。本名ではないです。
博士号(生命科学系)。時々演劇の脚本家、コント作家、YouTube動画編集者。アンチ竹中エバンジェリスト、ニワカ竹中ヘイゾロジスト。
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タグ:設備投資

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某焼肉屋チェーンに行ったら、
ロボットが注文した肉を運んできてくれた

ハイテクだ。


ただ、店内には人間のホールスタッフがたくさんいたし、配膳ロボットからテーブルに肉を移すのは人間がやっていたから、配膳ロボットを使う意味があったのかどうかはよくわからない

年度始めだから、社員やバイトの教育的な意味でスタッフが多かっただけなのかもしれないけれどね。


ソフトバンク製の、大きな踏み台にタイヤがついたみたいな形したロボットだったけど。

(調べると、ソフトバンクのServiという製品らしい)


日経クロステック「ソフトバンクロボティクス、配膳ロボ『Servi』をレンタルで提供」https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/18/08814/


ただ運ぶだけだもんなあ。

これだと、ロボットからお皿をおろすのはどうしても人間がやらないといけないものね。


配膳に限らず、人間の働きをロボットが置き換えるのはなかなか難しい。

人間の動作ややり方をロボットがそのまま真似するのは意外と困難だ。

DXとかでもよく言われるように、本当はロボットやコンピュータがやりやすい方法に人間の側が合わせてやらないといけないのだ。


最近の回転寿司はベルトコンベアで自動的に寿司が運ばれてくるけど、あれなんか完全にロボットにとってもっともやりやすいように最適化された空間に人間が入り込んでる感じだもんな。

昔ながらの焼肉屋のレイアウトの中でロボットが動き回って料理を提供するのは、やっぱりちょっと難しい。

感染対策で人間を一切雇えないとかならともかくなあ。


あれ?

ってことは、全飲食店を回転寿司方式のベルトコンベアレイアウトにすれば、人間のホールスタッフはほぼいらないのか。

焼肉ならお皿の形もほぼ一定だし、ベルトコンベアで良くね?



って思って検索してみると、最近はまさにそういうのちゃんとあるのな。

有名どころだと『焼肉いっとう』というお店があって、それなりに流行っているらしい。

みんな考えること一緒だねぇ。


そのうち全ての低価格帯レストランがそうなっていくのか、人件費と設備投資のせめぎ合いであるところに落ち着いていくのか、興味深いなあと思います。


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ちゃんと見えている人には見えているなあと思いましたよ。

小泉純一郎と竹中平蔵先生の構造改革が間違いだったと、海外の日本ウォッチャーな学者の先生にも無事認定された
ようで何よりです。


President Online 「非正規を『安く使える駒』としか見ていない…アメリカ人政治学者が指摘する日本経済の最大問題」


ヴォーゲル教授の論説記事の中では、小泉純一郎時代の構造改革が間違いであり、日本の企業の強みを殺して日本経済の低迷を招いた、大きな要因であることが述べられていました。


まあこのヴォーゲル教授が全て正しいわけじゃないとは思うけれど、小泉竹中の構造改革が間違いであったこと自体は本当にその通りだと思うよね。

そりゃそうよな。

企業経営が悪化しているからと派遣のような非正規の社員を増やすことでコストカットしたら、カネのない人が増えて格差が広がってしまった

そうなれば、それだけ消費できる人が減るもんな。

結果的に、日本全体の購買力が下がってしまった。


まあ、大量の終身雇用の社員がいる状態というのが、多くの大企業の経営を圧迫する面はあったんだろうし、一時的には仕方なかったという面もあるだろうけどね。

でも、その煽りを食って、上の世代の終身雇用を守る代わりに下の世代の雇用が抑制されて、多くの人が非正規で低賃金不安定なロスジェネになってしまったんだよね。

上記記事にもあるが、以前の日本社会では離職率が低いことから社員をしっかり育てる風土があったそうだ。

だが現代では、そもそも必要な教育やチャレンジの機会をあたえられていないので、活躍できたはずの人も活躍できていない

あるいは社員は社内で活躍して業績を出しても、コストカット偏重でろくに給与や待遇に反映されない。

そりゃ必然的に日本企業の業績が低迷するわけだよね。


少なくとも、いま利益が上がっている企業は、賃金抑制して守りに入るのではなく、新しい事業のための人づくりや設備にしっかり投資してほしいよね。

時代が変わっても将来の稼ぎを自力で確保できるように、つねに新しい事業の目を探していかないといけないと思うよ。

まあ、自分の勤め先のような零細ベンチャーに興味持ってくれる大企業の人たちは、そういう意識はあるみたいだけどね。

大企業なのにそういう意識すらない会社は、まず生き残れない会社だと思うよね。


↓記事中にもあるヴォーゲル教授の著書です。おもしろそう。

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竹中平蔵先生が若い頃書いた本『研究開発と設備投資の経済学』を読んでみて、確実に理解できたことがある。(その①はこちら

竹中平蔵先生は、とにかく「民間の力」が大好き。

これまで見てきた通り、竹中平蔵先生の本の内容は「政府が恣意的に判断したり、積極的に援助をおこなうのは、かえって民間の活力を損なう恐れがある。」と要約できそうだ。

どういう機序でそうなるのかの説明や具体例は、本のほうには何一つないのでさっぱりわからん。
理論的にも、実証が十分でないと粒沢は思った。(その③参照)
だが、竹中平蔵先生は固くそう信じておられるようだ。
人間、誰しも科学的に立証されたことだけを信じているわけではなかろう。
とにかく、竹中平蔵先生は、民間とか民営化が好きなのだ。

そして幸か不幸か、その考え方自体は、竹中平蔵先生だけでなく当時の多くの人々にはわりと受け入れやすい考え方だったようだ。
民営化してサービスの質が低下したり成果があがらなくなる例ばかり見てきた令和に生きる我々としては、感覚的に受け入れがたいところはある。
だがそうでなければ、「改革」や「民営化」が政治論議で肯定的に取り上げられたり、郵政民営化を掲げて解散総選挙をした小泉純一郎が勝利することもなかっただろう。

そして、将来経営者として加わることになる人材派遣については、この本の時点では直接的な言及はさすがになかった。
だが、本には労働者の投入量を変数の一つとする数式が何度も登場する。
実際、労働者を適切に投入することは生産性向上の重要な要素であるには違いない。

労働者は、本来労働者自身を守るためにさまざまな規制で守られている。
だが竹中平蔵先生はそうした規制を撤廃することにより、労働力を投入しやすくして「民間の活力が上がる(企業がもうかる)」とシンプルに考えたものと想像できる。
しかも自分自身が人材派遣企業の経営陣に加わってしまえば、直接利益も得られるし政策にかかわりたいという自分の願望も満たされる。最高じゃないか。

郵政民営化にしても、人材派遣の解禁も、かねてからの自分の考えていた方向性と強く合致していたのだ。
「研究開発と設備投資の経済学」を書いた33歳当時に、上記のような民営化・自由化・カイカクを推進する竹中平蔵先生の本質は出来上がっていたといえる。

本を読み込んだことにより竹中平蔵という人物が少し深くわかった気がするよ。

(じっくり書いていたら遅刻したが10/7分の記事です)


 

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竹中平蔵先生が過去に書いて出世した本「研究開発と設備投資の経済学」を読んだメモを書いています。
その①はこちら
入手しにくい本をわざわざ入手して読んだからね。仕方ないね。

前回まで、いろいろとツッコミどころがあるなあと思って、思いつくところからつらつらと書いていましたが。
色々ある中でも最大の不満点がこれだと思います。

③結局、何がしたいのか

一番困るのが「この本を読んだ後どうしたらいいのかマジでわからないということ」なんですよね。

どうやら1970-80年代にかけて、設備投資が鈍化しているらしい。
そのことが経済成長も低下させているので、民間の設備投資を増やしたほうがいいらしい。(二章)

じゃあ、どうやって民間の設備投資を増やすのか。
政府が民間に設備投資の援助を行うことは必ずしも成長につながらないという。(五章)
じゃあ投資しやすくなるように投資減税したらいいのか(八章)という話が出てきたかと思えば、「アメリカは日本より投資減税を積極的に行なっているが、(1980年ごろの当時の)成長率は日本より低い。」(九章) という話が出てきたりする。

いや、何がしたいねん

「民間の活力を活性化させる新しいポリシーミックスが必要」(九章)なのだそうだが、なんだそりゃ。
それが具体的には何をすればいいのかさっぱりわからない。

一応、財政赤字を拡大させない範囲で、高法人税率と減税措置を組み合わせるのは「一つの重要な示唆を与える」(九章)とは述べているが、すごく持って回った言い方だ。

総じて、どっちつかずというか、当たり障りのないことしか書いていなかったという印象になってしまう。
仮に日本の経済政策を決める立場の人が、この本を渡されても、どうすればいいかわからなくて困惑してしまうのではないだろうか。

もしかすると、元同僚や上司など知り合いがたくさんいる大蔵省を批判したくなかったとか、気を使ったのかもしれない…?
いや、どちらかというと「余計なことを断言して後から批判されたくない」という保身の可能性が高そうかなあ。
だって、信頼と実績の竹中平蔵先生だもんな。
ヌタウナギのようにぬるぬるとつかみどころのない竹中平蔵先生の言論は、この当時から健在だったのだ。

というわけで、内容的には読み進めるのがなかなかしんどい本であった。
決して万人におすすめできるものではないが、それでも、この本を読んでよかったと粒沢には思える。
まだ30代前半の竹中平蔵先生が書いた本を真面目に読んだことで、竹中平蔵先生の思考法や、その後の先生が郵政民営化・人材派遣会社経営に向かっていった背景が、なんとなくわかってきたからだ。

続く 

 

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竹中平蔵先生が昔(1984年、当時33歳)書いた「研究開発と設備投資の経済学」という本をわざわざ探し出して読んだので、せっかくなので読書メモを書いています。
その①はこちら

竹中平蔵先生が勉強家なのはよくわかったんですが、前回の通り、数理モデルを使った議論がどこまで正しいのかは、正直ちょっと怪しい(①)という感想です。

それ以外にも気になるこの本の欠点としては、結果が当たり前すぎないか?というところが挙げられます。

②結果が、あたりまえ体操気味

数理モデルってやつは、結局どういう前提条件を数式に落とし込むかなので、前提条件が単純だと結果もそうそう意外性のあるものにはならない
たとえば「値段が高いと人々は購入を控える」という前提条件から出発して立てた式は、「値段が高くなると購入額が減るね!」という結果になりがちなのだ。

この本で出てくるモデルも、「資本が蓄積すると生産性が比例して上がる」とか「設備投資コストが高くなると企業が設備投資できる額は減る」とか、かなり単純化した仮定にもとづいている。

たとえば、八章では「”投資減税を恒久的に行った場合”と、”一時的な時限措置として投資減税を行なった場合”では、後者の方では投資額が増えない場合がある」という議論がなされていた。
だが、そんなの、常識で考えれば当たり前じゃないのか?
だって投資減税が恒久的なほうが企業からみればインセンティブになるに決まってるじゃないか…と思ってしまった。

また、五章では、技術の進歩には民間自身による設備投資が重要であるという議論をしていた。
いわく、”政府の対民間研究開発費の補助額”は、技術の進歩とほとんど相関がなかったのだそうである。
(ここでいう技術の進歩とは、同じ量の労働者や資本投入から、以前よりも高い生産性を上げること) 
一方、”民間の研究開発費”は、技術の進歩と強い相関関係があった。

この結果から、竹中平蔵先生は
「政府助成研究開発の増加がただちに技術進歩に結びつくとする安易な考えは支持されない」
「民間主導で進められている我が国の研究開発投資の効率性が高い」
と述べている。

民間のほうが、政府の援助よりも大事だと言いたいようだ。

だが、竹中平蔵先生自身の出しているデータで明らかなことであるが、全産業の研究開発投資が3.兆6300億円(昭和56年)だったのに対して、同年の政府の民間に対する研究費助成は全産業の総額が459億円であった。
政府から民間への研究開発費の援助額は、民間の研究開発投資額総額のわずか1.3%の規模でしかないのだ。
全体から見れば雀の涙、焼け石に水である 。
これほど総量に差があっては、”政府の対民間研究開発費の補助額”が全体の技術進歩に及ぼす影響も、ほとんどないのが当然だと思われる。

いってしまえば、ところどころがかなりあたりまえ体操っぽいのだ

竹中平蔵先生のWikipediaによると、「研究開発と設備投資の経済学」で母校の一橋大学で博士号を取得しようとしたらしいんですが、「あまりに初歩的すぎる」という意見が出て不合格となったそうです。

なんか、ちょっとわかる気がします。

そして批判ポイントですが、③もあるよ。
お楽しみに。(楽しいか…?)

つづく。 

(10/5のブログだけど、真面目に書いてたら時間オーバーしちゃった。) 

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