粒沢らぼ。

当ブログでは現役生命科学系の研究者が、気になった論文を紹介したり、考えていることを共有したりしています。可能な限り意識を”低く”がモットー。たまに経済ネタとかも。
書いてる人:粒沢ツナ彦。本業は某バイオベンチャーで研究者をやっています。本名ではないです。
博士号(生命科学系)。時々演劇の脚本家、コント作家、YouTube動画編集者。アンチ竹中エバンジェリスト、ニワカ竹中ヘイゾロジスト。
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タグ:言論の自由

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反ワクチン活動で有名(?)な京大の宮沢孝幸さんや、立憲民主党の参議院議員の川田龍平さんなど、医師や研究者、現職の政治家が参加する新型コロナワクチンの危険性に関する討論会の映像が、
YouTubeから公開数時間で削除されてしまったらしい。



問題の動画はニコニコ動画で再度公開されたらしいですが。



個人的には反ワクチン主張の全てに100%で同意しているわけではないし、2時間以上ある動画全部をちゃんと見たわけではないけども。

副作用が少なからず報告されているのは事実だと思うし、「中和抗体しか見ない評価方法はどうなんだ」というのは同意するし、「抗原原罪で悪い抗体だけを増強してしまう」とかは単なる起こりうる仮説の一つで、別に根拠のないデマではないと思うんよね。

単に、科学界で主流の学説ではないというだけでしょ。


だって、人類は自分達の免疫の仕組みを全てわかっているとは言えないし。


デマだデマだというなら、これまで「ワクチンは感染も防げる!ワクチンを打てば社会を正常化できる!」と主張していた方々のほうが、残念ながら蓋を開けてみれば100%間違っていたわけで。


ADEでむしろ感染しやすくなるとか、抗体原罪で新しい株に対する免疫ができないなどの注意喚起は、非科学的トンデモと片付けるにはあまりに科学的すぎると思います。


上記の動画は、学術的に主流ではない程度の話を、至極真面目に討論している場にしか見えなかったのですが、YouTubeのガイドラインに反するとかなんとか理由をつけて公開停止にしてしまうのは、やっぱり怖いことだなと思います。


表現の自由を守るとか言っているオタクの人たちも、こういうのは問題視してくれる気配が微塵もありませんよね。

自分もオタク的な意味でのエログロ系の表現の自由は大事だと思いますが、それ以外の政治や政策決定に関わる言論もプラットフォームの恣意で削除されるのはよくないことだと思うのですよ。

真面目な話をしているのだから、合っているか間違っているかは別として、話を聞く機会は提供しないといけないと思うのです。


YouTubeとかのビッグテックの中で投稿を管理している(キラキラ系リベラルな)人たちは、自分たちに都合の悪い言論は、公開停止にすることで伝達を抑制すれば、いずれ勢いを失って消えてなくなると思っているんでしょうね。

トランプ(元)大統領をTwitterから追放した運営のことを考えても、そうなんだろうなと思います。

(トランプ大統領、また大統領選出るらしいけどね。)


確かに、一定以下の影響力しかないような注目度の低い言説は、言論統制することで人々の間から無くすことができるかもしれないけれど。

トランプ大統領支持とか、ワクチンへの懐疑論とか、ざっくり世間の半数の人は同意しているようなことに対しては、あまり意味をなさないと思うなあ。(トランプ大統領は一度は選挙で当選したわけだし、オミクロン対応ワクチンの接種率は開始から1ヶ月経って5.9%だし。)


別に動画を見て、反対だな、同意できないなと思う人が多ければそれでいいじゃん。

賛同する人が多く出てしまうというのなら、それはもうある程度有力な言説ということでしかないじゃん。

公開停止にするってちょっと意味がわからないっすね。

問題の動画はYouTubeで削除後にニコニコにアップロードされて、このブログを書いている現在は視聴できますが。

外国のビッグテックのものだけじゃなくて国内の動画投稿プラットフォームもあってよかったよね。

プラットフォームが複数あるのって、経済学的な効率には反するかもしれないけれど、結局大事なことなんじゃないの?っても改めて思いますね。

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ツイッターを買収したイーロン・マスクが言論の自由と称してフェイクニュースを流した!
というのが、昨日のNHKの朝のニュースでさらっと言及されていた。

どんなニュース流したんかな。


調べてみると、アメリカ民主党のナンシー・ペロシの夫ポールが、自宅で不審者(デビッド・デパペ)にハンマーで殴られてケガをしたという話があって。

この事件を受けて「共和党支持者が陰謀論を流行らせたことが今回の襲撃の原因だ」とヒラリー・クリントンがツイートしたことに対して、イーロンが「ほんとか?こういうはなしもあるけど」とリプで共有した記事が問題になっているらしい。

GIGAZINE「イーロン・マスクがナンシー・ペロシ下院議長の夫の襲撃事件に関して根拠のない陰謀論をTwitterで共有するも後に削除」


 問題の記事はポール・ペロシとデパペとはゲイクラブでの知り合いだったらしい!みたいな憶測記事だという。

これをツイートしたことで、怒られが発生しているっぽい。

(記事が警察の要請で削除されたらしく、正確に何が書いてあったかはよくわからないけど)


デパペは陰謀論のサイトを運営したりフェイスブックに陰謀論を書き込みまくっていた人物ではあったのは事実らしい。

しかし、共和党支持者が陰謀論を流行らせたというのは、バイデンの大統領選の選挙不正疑惑とかの民主党政権に都合の悪い情報は全部陰謀論扱いするんだから、そりゃそうだろうという感じですが。


まあ、イーロンもTwitterを買収した初手からギリギリアウトなラインをぶっこみすぎだろという気は正直するけど。


アメリカではトランプ支持者の平和的デモが議会を「襲撃」したとか民主党支持者に決めつけられてるし、大統領選でバイデンの票が開票終了間近に急に伸びたのも少なからぬ人が怪しいと思ってるみたいだし。

トランプが機密情報を持ち出したとかの言いがかりで捜査された、とかいうのも最近あったね。

そういうのを批判すると全部民主党側に、質の低い情報としてQAnon扱いされるのが、最近のアメリカの言論環境らしいのよね。

つまらんよな。

それをどうにかしたかったのもイーロンがTwitterを買収した動機であったのは間違いないわけで。

質の低い情報が増えることは必ずしも悪ではないというか、言論の自由があれば必ず情報の質は下がるし下品はものとかも当然出てくる。

昔の2chとかは、下品でデマも多いなりに、いろんなことを言う人がいて、結構面白かったよね。

面白くないところには人も集まらないので、イーロンの改革でツイッターが面白くなるのかがポイントだと思います。


単に質の低い情報しかなくて面白くないサイトに成り下がる可能性も当然あるけどね。

注目したいっすね。(トランプ!早くツイッターに帰ってこい!)


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ニュースなどで報道されている通り、
大変悲しい出来事がありました。

こんなことがあるなんて。。

最初の第一報に接した時は何かの間違いか釣りを疑ったけど、どうやら現実のことらしい。

嘘だろうと思いたい気持ちがまだ抜けません。


とりあえず、軽々しく人に対して「死ね」とか「殺す」とか、本当に言うものではないな。

たとえ政治的思想的に、言動がよほど気に入らない相手でも、何が起こるかわからないし滅多なことはいうものではない。

本当に洒落にならない。

まず現実のことにならないと思うからこそ、多少の軽口や悪口くらいは別にいいだろうと思ってしまうけれど。

このようなことが「実際に起きてしまう」とわかってしまった。

「〇〇は悪いことをしているのだから殺されてもいい」みたいなことは本当に言わないほうがいいな。

そんなことを強く思わされます。


実際、いますよね、「安倍さんじゃなくて〇〇を殺せばよかったのに」とかいう人。

まあ、〇〇さんは粒沢も好きじゃないので気持ちはわかるんですが。

でもそれは言ったらだめなんですよね。


万が一、本当にそれで次は〇〇さんが殺されてしまったら、もちろん直接の責任はないにしても、道義的な責任の0.何%くらいは、その人に存在することになると思うわけですよ。

そうなってからいくら綺麗事を言っても「でもあなたは以前、〇〇さんが死ねばいいと言ってましたよね?」と言われてしまうし。

そこで「あのときは本気じゃなかった」みたいなこと言って開き直るのはすごくカッコ悪い話なわけで。


それに「〇〇さんが殺されてもいい」というなら、「〇〇さんの支持者はあなたを殺していいのか」という話になりますからね。当たり前だけど。


批判はいくらしてもいいけれど、気に食わない相手を軽々しく「死ね」とか「殺す」とかいう行為は、いくら表現が自由とは言ってもやはり守られるべき言論の範疇ではないですよね。

そうした悪質な言葉に対し、一定の刑罰が課せられて規制がかかるのも、ある意味当然ではないかと思うようになりましたね。


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昨日の、コロナ禍で医者に批判が集まっている件について触れた際にも思ったけど、認知的不協和の解消というのは現代社会において非常に重要なテーマだ。

ネットやテレビなどを介して、良い生活や羨ましい目に遭っている人の話が途切れることなく流れ込んでくる時代だからね。

 

自分のやりたいことや欲しいものがあるのに現実の制約がかち合ってしまいそれが達成できないというのは、現実には非常によくあることだ。

だけど、その状態に耐えられないので人間はどうしても認知的不協和を解消する方向の認知を好んで採用してしまう。

認知が真実であるかどうかは関係なく、認知的不協和が解消できる話であれば、普通の人はみんな喜んで受け入れるのだ。

致し方ないところではある。

修行が足りないと言えばそれまでかもしれないが、一般大衆は修行僧などではないのだ。

 

しかし、昨今の医療に関する根拠のない言説でもそうだが、都合のいい認知を作るためにウソを広められたり事実と異なるレッテルを貼られるほうとしてはたまったものではない

それを煽ることで商売にしているような輩もいることは前回も触れた。

 

とはいえ、SNSの時代では、ウソだろうがなんだろうが人々の意識にのぼりやすい考え方はどんどん広まっていく。

その流れを止めることは事実上不可能だ。

たとえば医者に対する悪口や誤った根拠に基づく批判が問題だとしても、それらを全て根絶することは不可能だろう。

個人の自由が尊重される我が国では基本的に特定の意見を言う人の口を塞ぐことはできない。

仮に塞ぐことができたとしても別の形で噴出してくるだけだ。

 

せいぜい、明らかなウソを書かれた時には関係者の証言やデータで反論するくらいが関の山だ。

それだって、認知的不協和に取り憑かれて「見たいものしか見ない」相手には通じない。

言っても通じない相手は結局のところ無視するしかないのだ。

 

さらに厄介なことだが。
「認知的不協和に耐えられず事実と異なる内容を吹聴するやつらを黙らせたい」が、「日本には言論の自由があるので口を塞ぐことは原則不可能である」と言うことの不快感。

この状況自体が、非常に皮肉なことに認知的不協和なのだ

これを解消するために、「認知的不協和で事実と異なることを思い込むやつは知能が低い、下賤だ」などのような認知を自分自身にインストールする必要があるのだ。

 

ここで大事なことだが、「認知的不協和で事実と異なることを思い込むやつは知能が低い、下賤だ」という文章が事実であるかは、正直どうでもいいのだ。

ただ不快感が

悲しいし皮肉を感じるが、現代社会ではそれが最もマシな対処法だろう。

 

残念ながら、我々は認知的不協和から真の意味で逃れることはできないのだ…。

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