粒沢らぼ。

当ブログでは現役生命科学系の研究者が、気になった論文を紹介したり、考えていることを共有したりしています。可能な限り意識を”低く”がモットー。たまに経済ネタとかも。
書いてる人:粒沢ツナ彦。本業は某バイオベンチャーで研究者をやっています。本名ではないです。
博士号(生命科学系)。時々演劇の脚本家、コント作家、YouTube動画編集者。アンチ竹中エバンジェリスト、ニワカ竹中ヘイゾロジスト。
Twitterアカウント:@TsubusawaBio←お仕事などの依頼もお気軽にこちらへ。

タグ:自粛要請

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一昨日〜昨日ネタにした通り、ワクチンの効果がマイナスといことは多分なさそうだと思うけど。
この感じだと毎年のように新しいワクチンをブースターで打たないといけないっぽいよね。
だってこれから毎年新しい変異株出るんだもんな。ほぼ確実に。 
 

うーん、それでいいんかねえ。

皆が納得するならそれでもいいんだけど。

①毎年ブースターワクチンを確保するための費用は出せるのか

安全面での不安に見合った効果は本当にすべての人にあるのか

③その場しのぎのフェーズは終わった今、感染対策のグランドデザインをどうしていくのか


の三点が個人的には気になるところですかねえ。


①費用面

ワクチンを全員に行き渡らせる費用、まあひとりあたり1000円くらいのレベルでしょうか。

試算とかあるのかな?ひとり一万円ってことはないだろうと思うんだけど。

少なめに見積もって毎年一千億円くらいの費用負担が発生すると思うんだけど、それくらいなら国として出せない金額じゃない、のかな。


国民としては自己負担にならないのであればそれほど気にしない人が大半かな。

ただ、自己負担に切り替えようという議論は今後必ずでてくるでしょうね。


②安全面

ワクチンの感染防止効果は、結局新しい変異株の出現を考えると1年しか持たないわけですよね。

多くの人が期待していたよりも、効果としては正直かなり小さいのではないかな。(インフルエンザワクチンと同じくらい、と思えばそうなんだけど)


確率は低いながら重篤な副作用という話もあるわけで。

特に若年者で健康な人の場合に、どこまで接種をもとめていくのかという線引きの問題は、より一層きちんと議論する必要がありそうだよね。

本当にワクチンが逆効果かは別として、見かけ上逆効果かのようなデータも出てしまったし、嫌がる人は絶対いるよね。
これはある程度しょうがない。


③感染対策のグランドデザイン

毎年ブースターを打つと決めるならそれでもいいけど、その分だけ飲食店や映画館などの自粛要請はいい加減にしてほしいよね。

先日開催されたコミケだって、サークル参加した人によると、感染対策のための予約制のせいで集客が大きく落ちて大変だったというし。

さまざまな日本の文化が、このままいくとなくなっちゃうんじゃないかな。

感染対策のために、日々の生活や商売や交流を犠牲にしてるんじゃ、何のために頑張ってるのかわからないよね。


おそらく、人が触れ合わなくなったことで、カップルもできにくくなって少子化だって進むだろう。

感染対策を、何十年も継続するのは不可能だと思う。

この状態をいつまでもつづけていては、いずれ社会が維持できなくなるんじゃないかな。


政府としては、なるべく大きな決断をしたくなさそうだから、このまま数年間はブースター作戦と自粛要請を併用していく感じになりそうだけど。
長期的視野があるようには全く見えないし、日本の衰退と没落を早める道だと思うんだよなぁ。 


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新型コロナの感染者がまた増えているらしいですが。

一般の人は、大阪とかをみるにつけ残念ながら自粛の要請に従わない人もかなり増えてしまってきているようですね。

もちろん、そうは言ってもマスクをして距離を取って、守っている人の方がまだ多いでしょうが。

 

思うに、今まで「緊急」とか「一時的な措置」みたいなことを強調しすぎなんですよね。

前も書いたけど、確かに「緊急」と言われたら最初は物珍しいしびっくりするから自粛要請にも従わないとまずいと思うでしょう。

だけど、感染者が増えているとかの報道も、いまやすっかり「日常」になってしまった感があります。

 

一般の人の中にも、知り合いに感染者が出たと言う人の方がまだまだ少ないのではないでしょうか?

粒沢もまだ、知り合いで感染したという話は聞いたことがありません。

ましてや死んだ人など、リアルの知人の範囲では聞いたこともないです。

 

いくらお上や医療関係者(まあ、これもお上みたいなもんです)が緊急緊急だと宣言しようと、生活者の実感としてどうみても緊急ではないのだから、一般の人の中には言うことを聞かない人が相当数出てくるのは仕方がないでしょう。

 

で、そういう意味では、蔓延防止等重点措置ってやつはわりと対策の思想としては悪くない気はしますね。

「緊急」という点ばかりが強調されていた「緊急事態宣言」と異なり、より長期的な対策を継続していこうと言う気持ちが読み取れるような条文になっていると思います。(参考資料「新型インフルエンザ等対策特別措置法等の一部を改正する法律案の概要」

 

・緊急事態宣言は感染爆発という状態にならないと出せないのに対し、新たに法律に規定された蔓延防止等重点措置は感染が急増していると判断されれば出せる。つまり緊急度の低い段階から、施設の営業時間の時短などを要請することができる。

・要請に従わない施設などには命令を出すことができ、違反した場合は罰金も規定されている。(緊急事態宣言と異なり休業要請はできない)

・緊急事態宣言は延長の期間に制限が一応あるのに対して、蔓延防止重点措置は何回でも何年でも延長することができる。

 

要するに長期戦を視野に入れた、「緊急だから」ではなく「普段からの」「実効性のある」対策が、法律の条文としてちゃんと意識されているというのは進歩かなと思っています。

まあ、居酒屋などの一部業界にとっては依然として厳しいことには変わりないですけどね。

 

また、要請に従わないからといって罰則を適用できるのは条文を読む限り基本的には事業者だけのようです。

個人は、どれだけ蔓延防止に背いた行動をしようと、基本的には個人の自由なわけです。

したがって、感染拡大をどれだけ防止できるかというと正直疑問が残るところではあります。

まあ、そういうゆるさがいかにも日本的で、わりと嫌いではないですけどね。

 

いずれにしても感染拡大を防ぎたいということであれば、「緊急」などと言って、変に短期間で終わるかのような期待をさせず、テレビなどを通して「長期的にできる範囲でこの状態を維持する必要があるんだよ」、とメッセージを連呼していくべきではないでしょうかね。

コロナによる自粛である。
 

弊社の場合は、自粛の影響で出社が大幅に制限されており、実験とか出勤しないとできない作業はほぼ停止してしまっている。

在宅で仕事ができる人はいいが、実験をしないと進まない立場の人は、自粛の期間中は完全にやることがない。

そういうわけで実験補助で雇った人たちが、完全に仕事がなくて浮いている状態になってしまっている。

 

他にやってもらうこともないし、そうは言ってもクビにするのもいい案とは思えない。

同義的な問題もあるが、何より実験補助として優秀である程度熟練している人たちを手放すのは現実的に損失が大きいのだ。

 

そういうわけで、かなりの苦肉の策ではあるが、Pythonによるプログラミングを多少覚えてもらって、実験補助やデータ分析に使えるツールをある程度自力で作れるようになってもらえないかな、と粒沢は考えて、実験補助の方々にプログラミングの基礎を覚えてもらうことにした。

彼らが多少なりともプログラミングをできるようになってくれたら、例えばこちらが書いて渡したプログラムを微修正して使ってもらえるようになるとか、何らかの形で役立つかもしれない。

 

ただ、これがなかなか難しい!

粒沢は10年以上前の大学生の時に初めてプログラミングの基礎を習ったが、その時の気持ちはとうに忘れてしまっている。

それに、教えることが本来の仕事という訳でもないから、どうしても教え方が雑になってしまうところは否めない。

一方で、実験補助の人たちは、そもそもプログラミングとかそういう方面の教育を一切受けていない

実験補助の人たちの専門性は正確に実験業務を遂行するという点にあるのであって、プログラミングは専門外だ。当たり前だ。

加えて、リモートワークになってしまったので、対面ではないためコミュニケーションの取りづらさという問題がある。

 

結果的に、こちらの思う「これくらいは理解してもらえるんじゃないか」という説明が全く通じておらず、お互い混乱するという事態が頻発してしまった。

 

教え始めてから何日目か、珍事も発生した。

 

list = [“a”, “b”, “c”]

というリストがあった時に、リストの最初の項目を”sample”にするにはどうしたらいいか、という質問をしてみたのだが、聞かれた方はものすごく困っていた。

 

list[0] = “sample”

という答えをこちらは期待していたのだが。

そんなに難しかったかな?と思ったが、はたと気づいた。

 

「そう言えば、俺プログラミングのイコール(=)の定義を伝えてない…!」と。

 

x = 1

とか書いた時に、
「これは、xという変数(つまり、入れ物)に、1という値を入れましたということです。xの値がそれまでなんであろうと、その後はxの中身は1として扱います。数学みたいにx1であるという意味とは少し違うんです」

という内容を、慌てて説明することになってしまった。
本当は最初に説明しなくてはいけなかったわけで、かなり教え方として不親切であった。

そりゃ知らなかったらできるはずもない。

 

逆に、上のように逐一文章で伝えると、多少相手の理解度が上がる…気がする。人によるかも。

数式とかコードを書いただけで納得できるようになった人も多いと思うけど、実はそれはある種の特殊能力なのかもしれない。

原則としては、初心者には文章で書かざるを得ないということなんだろう。

 

こういう初心者あるあるみたいなのってどっかにまとまってたりするんだろうか。


追記:シリーズ化して続きを書いた。「プログラミング初心者にリストとfor文を教える

ラプンツェルの「I See the Light」の歌詞いいよね

 
 monogatari_rapunzel

 

ディズニーアニメ映画「ラプンツェル」を金曜ロードショーの録画で見たんですが、面白かったですね。

 

特に、邦題「輝く未来」、原題「I See the Light」の歌詞が粒沢はお気に入りですね。

 

「霧が晴れる fog has lifted」と「世界が変わった the world has somehow shifted」といった韻の踏み方もめちゃくちゃかっこいい。

何より主人公のラプンツェルがずーっと「あの光が見たい、あの光を見るのが夢」という話で、いざ光に到達すると「ついに光が見えた At last I see the light」で夢が終わったかと思ったら全然終わりじゃなくて、ラプンツェルとユージーンの新しい二人の生活が始まるという高揚感に置き換わってるのがめちゃくちゃエモいですね。

 

若い頃はこんな恋愛ものなんてしゃらくさくて見てられなかったんですが、30過ぎてくるとこういうのも案外いいもんだよなと思います。

それでもネズミの国に行くのは疲れるから勘弁してほしいと思ってるけどね。

 

それはそうと、本来は別にそういう歌詞じゃないんだけど、「世界が変わった the world has somehow shifted」っていうのがこのコロナウィルスの時代には示唆的だなあと思ってしまいます。

大きく世の中が動くことを「パラダイムシフト」と言ったりするけど、英語の歌詞の「shifted」ってのもそういうニュアンスなんだろうね。

コロナウィルスによって、これから世の中がどうやら何らか(somehow)の変化をする。

それがどういう方向かはまだよくわからないけど。

 

 

経済優先か?コロナ抑え込みが大事か?

 

政府が緊急事態宣言の延長を5月4日に宣言したので、自粛を求められる期間も伸びることとなってしまいました。

昨日の記事でも話をしたけど、経済を優先して自粛をさっさと解除すべきと言う論調がインターネットの一部に持ち上がっていますね。

確かに国民の中には自粛で多大な打撃を受けている人がいるから、経済を再開させろという人の言い分はそれなりにわかる。

 

それはいいんだけど、経済を再開させると、コロナによる死者がそれなりに出るのは不可避ですよね。

そりゃ40万人ってことはないだろうけど。

もちろん、経済を再開することで死を免れる人だって大勢いるだろうね。

だけど、人数はともかく、代わりに死ぬ人が絶対に出てきますね。

 

いや、コロナで死ぬ人は高齢者に固まっているから、国家や社会としてはあまり役に立たない人だったという議論があるのはわかりますよ。

若くて商売している人の方が貴重だからそっち救おうよというのはそれなりに一理はありますよ。

身も蓋もない話だけれどね。

 

だけど、そう言われて死ぬ人たちやその身内が「はいそうですか」と納得するかって言ったらそりゃしないよね。

もちろん、自粛で死ぬ商売人もすぐには納得しない。

だけど、それは政府の経済対策でかなりの部分救うことができるはずだ。

それが不十分だという話は当然あっていいけど、今はその話はおいとくね。

 

話を戻すと、今の政府のやり方(経済よりもコロナ抑え込み優先)を続けて死ぬ人たちは、急に政府が経済を優先しだしたら絶対に納得しないよね。

仮にその方が日本の国家としては良かったとしても、そんなの関係ないですわな。

 
 

死生観を変化させるのは誰の責任になるか?

 

もちろん、日本人の死生観が例えばスウェーデンみたいに死を受け入れるように変化すれば死者が増えてもいいと思う。

そりゃ話としてはわかる。

 

じゃあ経済優先で行きたい人、自粛の延長に反対な人は、頑張って日本国民のせめて過半数を説得してくれ!

「命よりも経済優先で行きます!」で説得できるならやって見せてくれ!

それができないなら、つまりはそういうことじゃない??

…と粒沢は思います。

 

安倍総理だって他の誰だって、国民の大多数の支持を得られないことはやりたくないよ。

選挙で選ばれてる政治家なんだから。

国の経済のためにあなたのご両親が死ぬのを受け入れてください、というお願いができて国民を納得させられる人、政治家でもそれ以外でもいいけど、果たしているのかな?

言い方を変えると、「国民の死生観を変化させるコスト」は誰が負うべきなんだ?というところがポイントだと粒沢は思いますね。

ものすごい貧乏くじだよね。

 

最初に言ったし昨日も言ったけど、価値観の大転換点に、今我々はいる可能性が高い。

だから、案外「経済や自由な暮らしを優先させてくれ!」で通るようになる可能性もあるとわりと思っております。

数ヶ月後とか、将来的には。

今じゃないよね。さすがに今はそのタイミングじゃないと思うわ。

 

ということで、自粛引き続き頑張りましょう。

大学に行けないし課外活動もできないのでは、大学の意味がない

自粛が長引いて、大学生もほとんど自宅学習になってしまい、オンライン授業などがあるとはいえ、「これだったら大学行く意味あるの?」みたいな空気が蔓延してますね。

まあ、結論から言ってしまうと大学なんて行かなくても、あるいは学問なんて所詮箔付けのためのものだと割り切っても生きていけますよね。

「お金払って大学行くよりも、自分で商売始めた方が人生経験にもなるしご飯も食べられる」みたいな人の言うことは確かに一理あるよね。

 

それでも、これまでは大学で同級生でも先生でもいいから面白い人に出会うとか、異性と仲良くなるとか、そう言うプレミアがあるから大学はそれなりに価値があったんだけど。
 

粒沢にも、いまだに中の良い大学の友人は何人もいるし貴重な出会いだったと思うけど、大体サークル活動とかの課外活動で知り合った人たちだからなあ。

今、課外活動ってほぼ全停止なわけじゃないですか。そりゃ確かに意味ないよなあって話になるわけですよね。

 

大学の先生の中でも、パソコン関係に疎くなくて、危機感を持っている人は、なんとかウェブ会議上のやりとりでも学生が退屈したり飽きないように工夫を凝らしていると聞きはしますし、学生の満足感もそう悪くはないとも聞きますから無駄な努力ではないと思いますけど。

でも、実際に研究室なりゼミなりに出て色々話したり実験したりする方が身につくに決まってるからね。

 

結局、いつまで自粛するつもりなのか?という話になってしまうよね。



それだったら働く方がマシ?
 
じゃあ大学なんかさっさと辞めちゃって就職しよう! 

…と思ったところで、この状況だとなかなか仕事もないよなあ。

ウェブで完結する仕事でもあるならいいけれど、みんなが同じことを考えている中で、特に一芸に秀でてるわけでもない人が生活できるだけの収益を得るのは厳しいだろうな。

 

ただ、このまま自粛が長引くと間違いなく不況が来ると言われています。

不況という世の中では、みんな余計な人間を雇う余裕がないので、最小限の人数でなんとかしようとします。

なんのスキルもない人間、誰にでもできる単純作業しかできないような人間はまず必要とされないと言われていますね。

 

なので、自粛の後の世の中を自分はどういうスタンスで乗り切るのかということを考えなくてはいけません。

大学の勉強でも、授業で与えられた課題や、自分の研究室の仕事をこなしているだけの受け身な姿勢では、余程お金に結びつきやすい学問分野をやっているのではないならまず生き残れないでしょう。

 

ずば抜けた能力のない多くの学生(かつての粒沢もそうでした)にとってはかなり絶望的な状況ですが、それでもなんとか生き残って行かなくてはいけません。

 

じゃあお金になるような技術を学ぼう、という方、心意気はいいのですが、周りの多くの人間が同じ考えであることを忘れないで欲しいです。

みんな同じことを勉強して同じように努力したとしても、最後に勝つのはその分野に興味があって才能がある人だけですからね。


ほぼ確実に来るとされる不況の波をいかに乗り切るか 

 

結局、回り回って、自分の興味の持てること、そしてできれば自分が苦手意識があることや今まで逃げていたことに、今は持てるリソース(時間、体力)をつぎ込むしかないです。
人間、興味の持てないことはそうそうできないようになってますから、少しでも興味が持てて不況を乗り切るのに使えそうなことを身につけるのがいいですね。

例えば、粒沢は若い頃熱力学が大の苦手だったのですが、苦手なのはよくないかなあと思いつつ結局勉強せずそのままにしていたために、後年大変後悔と苦労をすることになりました。

学部生の時にちゃんと勉強をしておいたら、後々無駄に勉強し直す必要もなく、もしかしたら仕事の能率も上がって出世できていたかもしれないと思います。

若い時はそうは思わないかもしれないけれど、意外と因果応報ってあるんですよね。


で、仮にでもいいから大学に在籍していたほうが、そういう「自分の知らないけど知るべきこと」という情報が入ってくる可能性は高いはずです。
大学辞めちゃっても、その代わりに仕事のやり方教えてくれる気のいい親方や先輩でも周りにいれば別ですけど、大抵は辞めたら情報も何も入ってこないでゼロになっちゃいますよね。
学費の支払いが厳しいという人も、色々と補助や猶予があるという話ですし、最後の最後まで大学に在籍はしておくという選択肢は捨てない方がいいんじゃないかと粒沢は思います。
(もちろん、個別の状況で、どうしても止むを得ない場合や明らかに辞めた方がいい場合というのはあると思いますが…)
  

こういう時こそ、みんなで全力で雌伏して、来るべき不況に備えましょう。 
覚悟を決めて頑張れば必ず人生にプラスになるはずです。 

 

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