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西野亮廣に向かって、金を出してもらって土下座する東大博士課程の女子がいたという話題をネットでみました。

なんか、西野が許せないとかそういうことよりも、ただただ脱力感があります。

一体なんなんだこれは…という。

「拝金主義」とラベルを貼って額縁に入れて飾ればいいのでしょうか

 

世の中には、本来的にはお金や資材を持っている人と、労働力や技術を持っている人がいて、どちらが偉いと言う話でもなかったはずだと思うんですよ。

本来的には、ね。

ただ、お金を出せる人はどうしても現代では希少なので、価値が上がってしまっている、と言うだけのことです。

だってもし仮に「労働力や技術を持っている人がごく少数で、反対にお金をたくさん持っている人はいくらでも世の中に溢れている」みたいなことになったら、絶対に労働力や技術を持っている側が優位に立てるはずですよね。

 

たかがお金を出してもらうだけのことで土下座するとかそういう自体が発生してしまっているということ自体、何かが完全に間違っていると思いますね。

お金出してもらったらそりゃ感謝はするだろうけど、何も土下座なんてせんでもいいのに。

きっと立派な経歴に反して自己肯定感低い人なのだろうな。。

仮にやろうとしていることが本当に世の中のためになるなら(何しようとしてるのか知らんし興味もないけど)、西野以外にも応援したりお金出してくれる人がいると思うし。

 

労働力や技術を持っている我々が頑張るのは、もちろん我々自身のためでもあるけど、地域や社会を幸せにしたり、産業を振興することで国力を上げることで国のためになったりすることでもあります。

そうすると、結果的にお金を持っているあなたたちのメリットにもなるんですよいうのが本来、あるべき交渉の姿ではないかと思うんですよ。

それが新自由主義が当然視される世の中で忘れられてしまっているようにも思います。

 

お金を持っている人たちの住んでいる街や地域や国を良くしようと思わずに、自分たちの金銭的利益だけを求めていればいいというのが、新自由主義の基本となる考え方ですからね。
そういう道徳というか世の中になってしまっているのですから。

竹中平蔵とかもそうですけど、新自由主義というのは本当にどうにかならんのかい、という思いです。

(寝落ちてしまって遅刻してしまいましたが、1/20の記事です!)