粒沢らぼ。

当ブログでは現役生命科学系の研究者が、気になった論文を紹介したり、考えていることを共有したりしています。可能な限り意識を”低く”がモットー。たまに経済ネタとかも。
書いてる人:粒沢ツナ彦。本業は某バイオベンチャーで研究者をやっています。本名ではないです。
博士号(生命科学系)。時々演劇の脚本家、コント作家、YouTube動画編集者。アンチ竹中エバンジェリスト、ニワカ竹中ヘイゾロジスト。
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タグ:コミュニケーション

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これからの時代は、いかにして少なくなる人口で高齢者に対応するかが必要だよな。

高齢の親族のいる親戚の家に来ている。
高齢者、10秒前に聞いたことでも忘れてしまう。
90オーバーだし、認知症だから仕方ないよな。

認知症、本人は聞いたこと自体を忘れてしまう。
そのため、周囲の人は何度も同じ質問をされる
なり、だんだん腹が立ってしまう。

本人の中では、普通に知りたいことを聞いているだけなのに。
迷惑をかけているつもりはないのだ。
下手をすると、当人は自信満々で、答えている方が意地悪をしていると取られたりする。

それに、プライドが高い高齢者の場合は他人の世話になりたくないという気持ちが先行するために、必要な行政サービスを受けるのも拒否することもあるらしい。
身内からすると、さっさと認めてくれればかえって楽なのに、と思うことも多いようだ。

とにかく、コミュニケーションが成り立たないのが問題をややこしくしているよな。

たとえばそういう認知症の状態にある人が、自分が何度も同じ質問をしている様子を記録されて証拠として突きつけられたら、どう思うもんなのかしら。
やっぱり怒るかしら。

でも、その場では腹を立てたとしても「あなたは認知症なんだぞ」と繰り返し教え込まないといけない場面もあるよね。
酷だけど、自己の状態に対して適正な認識を持ってもらわないことには、最善の対応をすることもできないよな。
うちの高齢親族の場合も、介護をやりやすくするために息子夫婦と同居してくれと言われても頑なに拒否していた。
よほどでないかぎり、本人が納得しないことを強制するのは難しいよね。

ただ、記録を見て納得できる人はいいけど、記録なんて捏造だと言い張ったりして納得を拒否する人や、そもそも理解できない人も当然いるわけで。
介護する側としては、結局ほとんど喧嘩に近い説得をして納得してもらう、というのが多くの家での実情かもしれない。
喧嘩は良くないけどね。道徳的なことは置いといても、エネルギー使うしな。

認知の怪しい高齢者と可能な限りギスギスを減らしてコミュニケーションする仕組みも、今後は必要になってくるんだろうな、と思うのです。
いろんなやり方が用意されていて、家族ごとにスタイルに合ったやり方が選択できるのが望ましいのかな、などと思ったりしています。


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ここのところは花火大会が普通に開催されるようになってとてもいいことだと思うんだけど。
花火って単体だと三十分も見てると飽きちゃう問題あるよな。
仲の良い友達と見るならいいけどさ。

なんでもそうだけど、花火の良さって誰と見るかで大きく変わるよね。

友達の友達と集まって花火を見ることになったけれど、友達の友達と粒沢は友達ではないので、会話に困りそうだ。
うーん。緊張するなー。
自分の友達とだけ会話するのも、それもどうなのって思っちゃう性分だしな。
ひたすら飲んで食って泥酔するしかないのか。

長い花火だと2時間くらいあるよな。

三十分くらいたったところで、なんとなく仕事の話とかするけど、初対面でそんなに深いところも聞けないから、会話途切れて終わりそうだよね。
一時間とか1時間半ぐらい経過したところで何の話する?

相手の趣味も全然わからんし。
わざわざ事前に趣味とかお伺いするのも違うだろって思うし。

いっそ飲み屋とかだと、好きな酒の話とかで間が持ったりするんだけどね。
なんか酒買ってくか?でも相手が意外と酒好きじゃないパターンもあるからなあ。
飲み屋の場合は、飲みに来るくらいだから酒好きの人が多いけど。

花火…花火かぁ。花火から話広げようとすると炎色反応の話とかになっちゃうじゃん。
やだよー。そんな話したくないよ。

ベタなところでいうと出身地や過去に住んでた土地の話とかするしかないか。
それでいこう。
野球チームの話は粒沢がわからんので却下です。
コミュニケーションは浅く薄くが基本です!

あとはなんかツマミになる食べ物を作って持っていくパターンとかもあるな。
コミュニケーションは相手の胃袋を掴むところから始まるのです!
なんか婚活めいてきた!相手もおっさんだけどな!やってやんよ!ヒーホゥ!

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こういう話を紹介したら楽しい気持ちになってくれるかな、と思って人にした話が原因でなんか怒られることもある。
純粋に楽しい気持ちで紹介したのになー。
なんか、人の不幸を笑うのはよくないとか、そういう方向の話になってしまった。
人の気持ちは千差万別というか、同じ人でもそのときの状態によってダメなタイミングというのもあるからなー。

まあ、他人の不幸で相対的にうれしくなった的なあまりお行儀の良い話じゃなかったから、真顔でキレられたらこっちが謝るしかないんだけど。
こっちはなんの悪意もなく言ったことに対してお怒りが発生すると「知らんわ、もう話しかけないからな」という気持ちになるな。
別に相手には何も言わないけどね。
相手も「お前とは波長が合わんからもう話しかけてくんな」と思っていることでしょう。

相手の怒りポイント全てに配慮してたら会話なんてできないよ。
こんなこと言ったらコミュニケーション失敗するかも…なんていちいち心配してらんないので、距離を取るしかないよね。

とはいえ、数日経つと忘れてどうでも良くなる気はします。(少なくとも自分の側は)

他人が不幸になると喜んでしまうしょうもない人は一定数いて(寿司ペロとか最たるものだよね)、自分にも少なからずそういう側面はあるわけで。
そういう思慮がなくて浅ましいところも含めて人間らしさだと思うのですけどね。
まあ、いろいろあるっすよね。


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仕事していて、イメージの共有の重要さに思い当たっている。


人間の目的の多くは、一人では達成できない。

必然的に、他の人にやってもらわなきないけない部分が出てくる。

商売ならなおさらだ。
製品開発や製造だけでなく、お金を集めたり、 お客を集めたりしないといけないので、とても一人でできるものではない。

社内、社外を問わず分担や協力をしないといけないのだ。


そうなると、概念の共有が必要なんだよな。

最近よく、「君の頭の中で考えてる手順がよくわからない」と言われがち。

それはそうだよな。
だって粒沢が論文読んだり実験したり人に話を聞いたり、さまざまなことをやってきた蓄積の結果として考えてることだもの。 

いままでそれなりの期間を一緒に仕事や会議した人であっても、自分のイメージが伝わっているとは限らない。

ましてや初対面に近い相手では、こちらが何を想定してるか、ちんぷんかんぷんだよな。


そう思って世の中にあふれるサービス紹介資料をみると、「このサービスを使うと何が起こるのか」というイメージの共有に多くの紙面を割いているのがわかる。

使ったことない人にサービスを使ってもらうためには、サービスを使ったときの具体的なイメージを持ってもらわないといけないわけね。

そう思ってみると、世の中に参考になるものは意外と転がっているもんだな。

文章だけでは概念はなかなか伝わらない。
可能な限りイラストや図を使って、イメージを伝える努力をしていかないとな。 


それから、思いつきだけどイメージ共有の必要性を認識するために、AIお絵描きを活用するのはいいのかもしれない。

言葉による指示でAIに絵を書かせてみて、脳内イメージと同じものができるか試してみるのだ。

いかに自分が、自分にしかない前提知識を元にして考えたり話したりしているかわかるかもしれないね。


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昆虫食、なんか最近話題よね。


J-CASTニュース「
『昆虫食』市場急拡大も...根強い拒否反応 なぜ受け入れられない?識者に聞いた理由と打開策

粒沢は、祖母に小学生のときからイナゴの佃煮食わされてたから昆虫食そのものについてはそこまで忌避感ないんだけど。

佃煮のイナゴは、あれはあれでうまい。白米にも合うし。

ただ、今話題になっている昆虫食には、一ミリも魅力を感じないんすよね。。

別に環境に良いとも思えないし。


戦時中のタンパク質が不足する時代の対処法としては、イナゴ食うのはそれなりに合理的だったと思う。

うちの祖母もそうだけど米農家の農民だったから、当然田んぼにイナゴが湧く。

湧いたイナゴを単に駆除するだけでなく、佃煮にして食うことで、不足しがちなタンパク質を取ることができる。

祖母の時代は、子供でもできる食料調達のお手伝いの一環として、よくイナゴ取りをしてたらしい。

養殖するわけじゃなくて、害虫駆除のついでの有効活用なんだよな。これは賢いと思う。

コオロギをいちから養殖するのは…それは採算やエネルギー効率的には微妙だよね。


あと、一番気に食わないのは、「粉末にしてわからないように混ぜ込めば誰もが抵抗なく食べられる」、という発想だよね。

売る側の気持ちとしては、間口を広げたいのはわかるけど。

せっかく虫を食べるなら、虫なりの美味しさとか食感とかをアピールして「食べたいなあ」と思わせて欲しいじゃん。

そうじゃなくて、「味も食感も何もないから誰でも食べられます!!」とか言われても、「いや、そこまでして食う理由が何一つないし…」って思うよね。

それどころか、「え?普段食ってるパンに混ぜ込もうとしてるの??見た目で判断できないように??やめろよ!!!」っていう反発を招いちゃってる。

そんなのある意味当然で、消費者にとってプラス要素が一つもなくて、「ただ気持ち悪いものをサイレントで入れられる可能性が増えた」分だけマイナスなんだよね。

コミュニケーション大失敗ですよこれは。

結局反発されてる理由はそこだと思うんだよね。


昆虫食流行らせたいなら、「美味しい昆虫」を作ってくれ!!

粉にして誤魔化せば食える、みたいなネガティブな発想をやめろ!!

粒沢が言いたいのはそこです。


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