サンドロック氏がバイオジェンやめる件。昨日の続き。
サンドロック氏の会社への貢献を振り返ってみる。
もともとスタンフォード大卒の医師であったサンドロック氏は、1998年にバイオジェン社に入社。
2003年には医師時代の元同僚であったニッチ博士が、アルツハイマー病の治療に役立つかもしれない抗体を発見した。
このニュースを知ったサンドロック氏は、古い友人であったニッチ氏をバイオジェン社に招聘してプレゼンをしてもらい、バイオジェン社がこの新薬の開発に巨額投資するきっかけを作った。
CNBC“Moment of truth for Biogen’s big Alzheimer’s bet”
2007年には、ニッチ氏の会社は、このアルツハイマー病を治療する抗体についての権利をバイオジェン社に事実上譲渡する契約を締結した。
契約額はWikipediaによると2億ドル(200億円)だそうである。
2016年にNatureに論文が出るところまでは順調で治療効果も大いに期待できるとされ、バイオジェン社の株価も急激に上昇した。
が、FDAの申請に向けた第3相治験(EMERGE, ENGAGE)では極めて微妙な結果になり、論争を引き起こすことになる。
要するに、サンドロックさんはバイオジェンの成長の立役者であるが、同時に一旦始めたら後戻りのできない賭けに引き摺り込んだ張本人でもあると言うわけだな。
まあ、この点でサンドロック氏の責任をうんぬんするのは酷ではあろう。
技術ってのは、いったん走り出したら行き着くところに行くまでやめるわけにはいかないよね。
アデュカヌマブに関しては、もし成功すれば認知症医学に革命を起こし、巨万の富を稼げるというのは事実だったのだから。
ENGAGE治験の調査結果が出るまでは、分が悪いわけでは決してなかったしね。
サンドロック氏が今回やめるのも、批判されたからってのもあるだろうけど、アデュカヌマブに対して治験もいちおう終わったし責任も果たしたから「もうええやろ」と思ったのもあるかもしれないね。
仮にバイオジェンがアデュカヌマブを拾い上げなくても、認知症研究の歴史の流れの中で、サンドロック氏のポジションは、だれかが引き受けなくちゃいけないポジションだったはずだ。
途中までで賞賛されるのも、その後に批判されるのも含めて、ね。
うまくいくのかも全然わからない中で、やはりそれなりの気苦労はあったんでしょうと想像する。
それなりにいい給料もらってたんだろうし(知らんけど)、別に割に合わない仕事ってほどじゃないだろうけどね。
とりあえずはお疲れ様です、と申し上げたいね。
今後どうするんだろうね。
退社して別の会社でも入るのかな。引く手はありそうだけどね。
(11/19の分のブログ記事です)