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オリンピック開会式のリークおもしろいな。

文春オンライン「台本11冊を入手 五輪開会式“崩壊” 全内幕 計1199ページにすべての変遷が」
 

自分としては実際に実施された開会式もとても楽しかったけど、MIKIKO氏の演出でも大いに盛り上がっただろうし、変なゴタゴタはないほうがたしかにみんな幸せだったでしょうね。

 

台本リークの記事を読む限り、そもそもの問題の発端は、電通佐々木氏と開会式の演出担当のMIKIKO氏の側で認識が大きく異なっていたことだったっぽい。

 

MIKIKO氏側は、演出はアーティストやクリエイター側の意向を尊重して行われるべきだと考えていたと思う。

いい作品を作ると言う意味ではそうだろう。

だが電通佐々木氏側は、開会式はIOCや政治家の意向を受けてそれに合わせて制作するものだと考えていたのだと思う。

 

まあ、開会式を「巨大なオリンピックの広告」として捉えれば、発注しているのはIOCや日本政府ということになるし、電通は開会式を発注されて実行を統括する立場だったはず。

発注者が中身に要望をするとか、広告代理店の内部で上司が部下の作ったものにダメ出しして手を加えるとかは、広告として見れば当たり前という感覚があったのかもしれない。

 

もちろん、電通がアーティストに自由に裁量を与えてやらせた結果として「広告としての開会式」が成功するのが一番望ましかったことはたしかだ。

だが、現実はそうならなかった

 

ネットで流れてくる噂によれば、電通佐々木氏はMIKIKO氏が自分の意に沿わないとわかると、露骨にMIKIKO氏を無視して話を進めるようになっていったらしい。
(文春オンライン
〈東京五輪開会式の闇〉「このやり方を繰り返す怖さ」「日本は終わってしまう…」 女性演出家MIKIKO氏を“排除” した「電通五輪」』
 

粒沢の感覚だと、「そこはもうちょっと認識が合うまで話し合うとか、どうしても折り合いがつかないなら事が大きくなる前にMIKIKO氏に正式に降りてもらうとか、穏便な解決策があったのでは?」と思う。

だが、噂が正しければ、電通佐々木氏は自分の言いなりにならないMIKIKO氏を「無視して放置する」という、とんでもなく小学生みたいな対応を選択してしまったようだ。

本当に社会人のやることかよ?!と正直驚いてしまう。

 

だが、こうした対応を躊躇なく選択してしまうあたり、”これが電通社内の普段の電通のやり方”だったのでしょう、と言う気がするよね。

ってかそういう偉い人時々いるよね。
自分の言いなりになって頭を下げるまで無視してくるとか、そういうやつ。
 

粒沢も身に覚えがあるが、なかなか組織や業界の中で生きている人にとって、上位者と喧嘩するというのは大変なことだ。

上と意見がカチあっても最終的に自分が折れることで丸く収めるしかなかったなんてことは枚挙にいとまがない

 

おそらく、社内で絶対的な権力者である佐々木氏に表立って歯向かうことは、ほとんどの社員や業界の人にとっては死に近い意味をもつので、なかなかできることじゃなかったのでしょう。

 

だがMIKIKO氏は(電通佐々木氏にとっては残念なことに)言いなりになるような性格でも言いなりにならざるを得ない立場でもなかったのだ。

単に演出を下りただけではなく、電通佐々木氏の迂闊な発言をリークして彼を下ろすという「革命」まで事実上成功させてしまった。

今回台本をリークしたのも、MIKIKO氏側の意趣返しの一環なんでしょうね。

電通という集団内で栄華を誇った権力者も、その集団の外から来る叛逆者には討ち取られてしまうという、歴史小説のような壮大なストーリー。
どちらかに感情移入するというよりは、「自分は今、壮大な歴史の転換点を目撃しているのかもしれないな」という感想を抱きましたね。