一年前に仕事で買った本(粒沢さんにとっては畑違いの金融関係)、当時は書いてあることがよくわからなかったが、最近読み返したら「なるほどこういうことが言いたかったのか!」と腑に落ちることがあった。
いや、別に専門用語が難しいとか数式が難しいとかではなく、平易な日本語で書かれている本なのだけど。
業界の暗黙的な知識や経験値がないと、「言ってることの日本語的な意味はわかるが、ただの一般論を言っているように聞こえる」みたいな状態になってしまい、全く頭に入ってこないのだ。
実務的な視点というのは、実務を知らない人間には、当然ながらなかなか本を読んでもわからない。
文章として言語化することは不可能ではないのだろうが、言語化できたところで伝わらなければ意味がない。
たぶん、本当はきちんと伝わる言語化自体は可能なんだ。
だが、その際に「既存の権力のある人たちの悪口や批判になってはいけない」みたいな制約が入ることが多い。
誰かを批判すれば、自分も批判される。
せっかく大変な思いをして文章を書いたのに、そこに書いたことでいちいち誰かと喧嘩してたら身が持たない。
そのために、一般論的でただしい、いまいち芯を食っていない、きれいごとのような文章ができあがる。
学校の教科書をそのままただ読んでもつまらないのと一緒だ。
このつまらなさを乗り越えるためには、自分で手や頭を使うしかないようだ。(残念ながら、というべきか)
実際に手や頭を動かして、ものを作ったり実践しようとしてみると、「ぜんぜん本に書いてある理念や理論どおりにいかねえじゃん」「この人たちきれいごとばかりいうけどやってることはクソじゃん」みたいなポイントが視えてくる。
そういう前提を内部化したうえで、改めて“そういう目”で本を読んでみると、なるほどそうした“現実”も織り込んだ記述になっていることがわかったりする。
「理想は〇〇であるべき、だけど例外もある」、とかね。
なるほど賢いね。
なんかズルいなぁ…という気持ちがないわけではないが。
それはそれとして、こちらがちゃんと正しい“問い”を持てば、それに対して答えが書いてある本というのはあるし、良い本である。
なにかの情報について具体的な数字が書いてある、とかね。(ゴミ本だと役に立つ情報が一切ないこともあるけどな)
そういう本は手元において大切にしなくてはならない。
こちらのレベルが低いうちは、情報は書いてあっても受け取れないだけなのだ。
今回読んでいる本も、またこちらのレベルが上がれば、新たにアンロックされる情報も増えるのだろう。
そうなるといいな。